【テンプル・バトン】その10(日蓮宗 森下恵王師)
宮崎県宮崎市立正寺の森下恵王と申します。
今回、熊本の清水谷 勇哲師から、「ご縁」をテーマに法話を回していくという、テンプルバトン的なものをいただいて、何か変なアプローチをしたい欲求があるのですが、大して変なアプローチにもならない、そんな法話ですが、お読みいただければ幸いです。
このバトンは、神奈川県なごみ庵の浦上 哲也師に回したいと思います。よろしくお願い致します。
何か画像でもあった方が良いかなと思い、よくいただく画像なのですが、私が好きなお寺、スリランカ国コロンボ、ガンガラーマ寺の画像も添付しておきます。
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縁起を知ってこそ苦を滅する
子供の頃、常に私のことを攻撃してくる子がいました。 大人になって、それがなくなったかというと、子供ほど露骨ではないし、ほとんどなくなったものの、何かしらの攻撃的な態度をとったり、意見が対立するような人は変わらずいます。そんな人が現れるたびに、心をモヤモヤとした思い・苦しみが取り巻き、そんな思いは時間の経過とともに薄れ、そしてまた同じような人が現れては繰り返します。
なぜ、このような苦しみを繰り返すのでしょうか。
ここで鍵となるのは、いわゆる縁起の「縁(よ)りて起こること」、すべてのものはさまざまな原因や条件によって起こっているということです。仏教では、苦しみも縁起によって起きるため、縁起を知ることで、苦しみの克服も可能となります。まさに、ここでも「ご縁」が鍵となるといえます。
自分を攻撃されるような苦しみにご縁なんてあるのか?
ご縁と聞くと、どうしても言葉の雰囲気から良いご縁を想像しがちですが、自分を攻撃する人がいたとしたら、そこにも様々な縁があります。
例えば、常に自分を攻撃する人がいれば、その攻撃のきっかけは何か、常々意見が対立する人がいれば、どういった意見と対立し、どういった主張をしているのか、その成り立ちが縁ということになります。我々が持つ苦しみの多くも縁で成り立っていると知ることで、すべてが苦の克服へとつながる道を示しています。一見、あなたの妨げとなるような縁にもまた理由があり、それを知ることで、苦を克服する道も見えるようになります。
あなたの心が苦しみにとらわれることがあれば、先ずは、縁を知ってみる。そんなところから始めてはいかがでしょうか?
お読みいただきありがとうございました。
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