【テンプル・バトン】その11(浄土真宗 浦上哲也師)
「ご縁」をテーマに法話を繋ぐ「テンプルバトン」が日蓮宗 森下恵王さんより回ってまいりました。
それではご覧ください、タイトルは「ご縁やないかい」
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AB:はいどうもー、法話の掛け橋テンプルバトンです〜。
B:あ、いま観客席からお布施をいただきましたね。
A:有り難いですね、こんなんナンボあっても良いですからね。
B:ところでウチのオカンがな、お寺で法話聞いて気に入った仏教の言葉があるけど、それを忘れてしもうてね。
A:気に入ったけど忘れたって、どうなってんねん。
B:それもそうなんやけど、一緒に考えてくれへん?
A:ええけどな、どんな言葉やったん?
B:なんかな、外で知り合いにバッタリ会った時に使える言葉らしいねん。
A:それは「ご縁」やないかい? 仏教の基本で、全ての物事が繋がりあってるっちゅう意味や。ちなみに近所の人と近くのスーパーで会ってもそれは必然やから、「ご縁ですね」言うたらアカンで。
B:いや俺も「ご縁」やと思うたんやけど、ちょっと違うらしいねん。どうもコワ〜い人が肩が当たった時につけてくるものらしいねん。
A:それは「ご縁」をも少し丁寧に言った「因縁」やな。物事は様々な原因が縁で繋がりあってるっちゅう意味や。本来は仏教の言葉なんやけど、「因縁をつける」なんて間違った使われ方をしてしまってるなぁ。ちなみにコワい人がちょっと肩当たった時に「骨折れた〜」て因縁つけるけど、そんな体弱かったらアカンやろと思うわ。
B:なるほどな、けどオカンが言うには東大生が出てくるクイズ番組の回答みたいな難しい言葉やったっちゅうねん。
A:それやったら「因縁」をもっと丁寧に言った「因縁生起」やないかい。物事には様々な原因があって、それが縁で繋がりあって結果が生まれてくるっちゅうお釈迦さまの教えや。「犬の仔は犬にしかならんが、人の子は鬼にも仏にもなる」っちゅう言葉があるけど、難しいクイズ番組に出てくる人らも因縁つけてくる人らも、生まれてきた時は可愛い赤ちゃんや。その可愛い赤ちゃんも、たくさんの因や縁によって全く違う生き方になってしまうんやなぁ。自分らは結果だけ見て判断してしまうけど、ホントは無数のご縁を見て判断せなアカン。でもそんなことは出来ひん自分らは「凡夫」なんや。煩悩に躍らされてるアホやっちゅうことや。だからせめて焦って判断しないようにしたり、自分にとって良いことも悪いこともご縁の積み重ねなんやと受け止めなアカン。まあムリやけどな。
B:なんや急に坊さんみたいに長々と。まあええわ、オカンが言うてるのはその因縁生起かもしれんから伝えてみるわ。
A:ところで俺とお前がこうして話させてもらってるのも「ご縁」なんやで。
B:え、これは「腐れ縁」と違いますか?
A:なんでやねん、もうええわ。
AB:ありがとうございました〜。
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