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テンプルバトン

ーテンプルバトンーその4(菊池重忠)

【テンプル・バトン】その4(日蓮宗 菊池重忠師)

このような時代だからこそ、僧侶が法話で繋ぎましょう。ということで海老名市妙常寺本良敬典さんからご指名頂きありがとうございます。

テーマは、ご縁

ご縁と言っても漠然としててよくわかりませんが、 仏教では縁というと「間接的な原因」。
それだと説明になりませんので、辞書で調べてみると以下のように書かれていました。

「全てのものに因果の法則が支配しているのであるが、その果を生ずる因を助成する事情や条件、すなわち間接的原因を縁という」ますます解らなくなりましたね。

シンプルに考えると、結果に対して原因があるならば、その原因に影響を与えた事やモノが縁というのでしょうか。今の自分の置かれている現実にたどり着くにはその答えを導いてその答えを選択した自分がいます。そこには様々な人、モノ、自然等々から情報を得て取捨選択の後、到達してます。

結婚や就職、引っ越し、等々の人生を左右する大きな選択から朝ごはん何食べようか、 何時に家を出ようか、 今日は何を着ようかな、等々、毎日の生活のルーティン化してる行動こそも、自分で情報を取捨選択して決定して行動してます。
このときに、関わっているモノの一つに縁というものが有るわけですね。と考えると、我々は毎日様々な縁を受けて、生活しているわけです。

 

私事ですが、以前講習会に出席した際に、人生グラフを作った事が有りました。 簡単に説明しますと縦軸は、上にどんどんあがると幸福度が増し、逆に下に下がると幸福度がマイナスになる、横軸は年齢という振り返りグラフを作りました。そんな長い人生を生きてはいませんが、様々な人生の分岐点や、人生を左右する出来事が有ったことに気がつきます。しかし、人生を振り返ってみると、幸福度が下がりどん底に落ちた経験がないことに気付きました。
いや、訂正します。落ちた経験があるかもしれません、人生で失敗したことないことなんてありませんので、でも、そんな時、いつも誰かがいるんです。

家族だったり、友人だったり、先生だったり、その日たまたま居酒屋でとなりに座った人だったり、SNSでつながった人だったり、タクシー乗り場で順番待ちしてる人だったり、恵まれたことに困った時に助けてくれる人が絶対に傍にいるんです。

仏教の教えの「法華経」の中で「則遣変化人 為之作衛護」というお経の一節が出てきます。意訳しますと、「信仰心を持って強くこの教えを遵守しようとする人に対して邪魔をしようとする人がいたならば、お釈迦様が身を人間に変えた人を遣わして守ります」というような意味合いです。私は、人生を振り返ると大なり小なり、多くの人に助けられて生きてきたと思ってます。
少し意味合いはズレますが、まさに多くの「変化の人」(お釈迦様が遣わしてくれた方)に見守られて生きてきたと感じてます。けれども、人との繋がりを整理したい方々から、こんな言葉を聞く事があります。

「私はこれから自分一人で生きていきます。誰にも迷惑かけたくないし、干渉されたくないし、自由にやってきたいので」と。
しかし、その人の力のみでやってるものがどれだけその人のまわりにあるんでしょうか?
毎日、その人が口に入れているモノは?その人の着ているモノは?その人が安心安全に一人で生活出来る環境は?
何一つ、自分の力だけで作れるモノなんてないんです。

縁は、人間だけじゃない。天地自然の全ての恵みを縁として頂き、われわれは生かされているんです。縁は見えるか見えないかではないんです。

今、我々人類は見えないモノと闘っています。正直認めたくはありませんが、それも今の自分の置かれている現実を導きだす、縁の一つです。ただ、ウイルスもあくまでも間接的原因にしか過ぎません。その縁によって何を結果として導くのかは、皆様の心がけ次第だと思います。

 

次は、福岡県の神崎修生さん、宜しくお願い致します。

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