山添真寛
(浄土宗の劇団ひとり)
客席から「シンカンさーん!」と大きな声がかかります。「ハーーーーイ!」とみんなに負けじと大きな声で登場。
私の舞台はこうして幕を開けます。
そしてみんなに質問します。「私はシンカンさんと呼ばれてますが、日本で一番早い電車は何でしょうか?」すると「しんかんせーん!」と帰ってきて、再度「私はなんと呼ばれてますか?」と質問。すると「シンカンさん」と帰って来て、素早くもう一度「早い電車は?」「しんかんせん」「私は?」「シンカンさん」(繰り返し)‥…
こうしてみんなの心に私の名前をインプット。
私は現在、紙芝居と人形芝居の演具を車に積み、日本全国どこへでも駆けつけて、生の舞台を届ける活動をしております。何故、お坊さんがそんな事を?色んな意味で聞かれるのですが、私はこのように答えております。せっかくのちょっとした時間ではありますが、観劇に訪れたみんながその時間の間、少しでも笑顔であって欲しいと願い、そして少しでも笑顔になってもらえるようにと願い、全力で舞台を届けているんですよと。
上演に伺う所は様々です。お寺の法要、幼稚園、保育園、老人ホーム、研修会やイベント、フェスティバル、青空の下での上演も。そして「おてらおやつクラブ」では「おてらおやつ劇場」として児童養護施設やこども食堂へも伺って上演を行っております。中でも子ども達の所に上演にいく事が多いのですが、私は毎回少しでもこの時間がみんなの心のどこかに残って欲しいなぁと思っています。なぜなら、今の世の中を見ますと、残念ながら悲しい事や不安、心配事が大変多くなり、また、日々便利になるのと代償に心に栄養を与えるべき事がどんどんと少なくなっているように思えてなりません。忌野清志郎さんが生前、今を「殺伐とした世の中」と度々表現されていましたがまさにその通りで、彼が亡くなって数年経っても、日に日にその度合いが増してさえいるように思います。これではきっと笑顔になる・なれる時間もどんどん失われて行く事でしょう。そのような中で子ども達が成長します。ホントにつらい事や悲しい事に出会った時、そんな時に今日のこの観劇した楽しい時間、みんなで笑ったこの時間が心のどこかに残りづけ、しっかりとした温かい感情の底板のようなモノとなって、それがまたこれから「生きる」という力になってくれると嬉しいなぁと、そう心から願っているのです。
子供からお年寄りまで笑顔にさせるターゲットの幅は広い。
私が教科書としているある本に「舌耕」(ぜっこう)という言葉があります。読んで字の如く「舌で耕す」という事です。何を耕すのか?それは人の心を耕すのです。私はこの「舌耕」は、お坊さんのやるべき事の大切な一つだと感じ、この言葉を頂いております。そして全国のお坊さんの皆さんもどうやって仏様の教えや、それぞれの宗祖様の言葉を伝えていこうか、どのようにすればいいんだろうかと苦心される毎日かと思いますが、私は私がお坊さんとしてみんなに届ける手段は、紙芝居や人形芝居の生の舞台を通した「舌耕芸」だと考えているのです。でもこれは、どこでいつどのような形で、それぞれにどんな温かい花が心に咲いたか、咲かなかったか、きっと知るすべは無いだろうなとおもっております。これは、はっきりとどこそこの塾に行ったから有名進学校に合格した!などというそんなものはないのですから。それでも、出会った子ども達、そして大人の皆さんのそれぞれの心を耕す思いで、その時間を届け続けようと思っております。
先程から簡単に「舌耕」や「舌耕芸」などとまるで自分が出来ているように言っておりますが、いやいや、私もまだまだ、至らなさが残る反省の毎日なんです。それでも、きっといつかそれぞれが素敵な温かい花を心に咲かせてくれると信じて、その温かい心が生きる力に繋がり、みんなが笑顔となるように願い、全力で届ける毎日なのであります。
これからも、みんなに「シンカンさーーーーーん!」と笑顔で呼んでもらえるように、そして、心に名前をインプットしてもらえるように、全国を元気に駆け回りたいと思います。