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井戸端コラム

私の伝える道(守祐順)

守祐順
(真言宗能蔵院、光福寺)

恵比寿のカフェで供養のトークイベント、本堂を会場にしたリアル脱出ゲームの監修、浄土双六完成イベントで解説など、少し変わったお誘いをいただく私です。一方で現代仏教の研究や編集というしっかり目なお役も務めます。自分で振り返っても統一感を見いだせませんが、どれも一生懸命に取り組んでいます。

そんな私が強く“伝えること“を意識するのは、亡き方の供養についてです。当然ながらこれは最重要であり、真摯に手を合わせる方々にしっかりお伝えしたい気持ちになります。難しいことよりも素朴な疑問にお答えするのが好みです。スッキリとした笑顔になる方が多いからです。

ある法事でのこと。小学生の女の子に質問されました。「なんで49日なんですか?きりの良い50日ちょうどの方が自然だと思います。どうして1日足りない日に法要するのですか?」というもの。子どもの発想は素晴らしいです。

今の日本人にとって供養のことは、「知っています」でありながら、「説明できません」でもあると思います。もちろんそれでも問題ありませんが、深く知ることには楽しさも伴います。だから供養の疑問には答えたいのです。

四十九日忌という法要はインドの法事に影響を受けました。インドでは初七日、二七日、三七日・・・と7日ごとに7回の供養があり、7日ごとの7回目が四十九日忌です。
先ほどの小学生の質問に簡潔に答えるならば、「50-1=49ではなく、7×7=49だから、四十九日で法要ですよ」となります(気になる方もいるかもしれないので、駆け足で説明します。ちなみにその次の百カ日忌、一周忌、三回忌の3つの法事は中国の影響です。さらに続く七回忌、十三回忌、それ以降が日本独自の法要です。長い期間に渡って供養したい日本人の気持ちが、法事という風習から見えてきます)。腑に落ちて仏事にのぞむことは大切ですし、「へー」や「スッキリ」という納得感やエンターテイメント性は魅力です。こんな思いが礎にあるので、私のお話のほとんどが解説型です。

本分である供養の場面でのおつとめに加え、イベント、SNS、YouTube、青年会活動など、何かしらをするお坊さんが増えました。友人は「学生にあてはめると勉強と部活の関係」とたとえました。言い得て妙だと感じます。

私の中で部活動に位置付けているわけではありませんが、冒頭並べた少し風変りな活動は、すべて伝えることだと認識しています。
現在お手伝いしているのは、なんと少女マンガです。

『めでたく候』(藤村真理・集英社『デジタルマーガレット』)という作品は、“たまのこし”の語源ともいわれる“おたまさん”が主人公。桂昌院の名で広く知られます。寺社の建物や尊像の修復等に、できるかぎりの力を注いでくださった仏教界、神社界にとっての大恩人です。及ばずながら監修の一人として名を連ねております。

そう、仏教井戸端トークでは、「仏教用語禁止法話」での、仏教用語判定役を仰せつかり、汗かきかき楽しませていただきました。
この役を部活にたとえれば、エアーバレーボール部でしょうか。バレーなのにボールがない、そもそもそんな部あるの?という感じ……うーん、たとえ話なのに余計イメージしにくくなっちゃいました。これはご覧になるしかありません。この楽しいイベントでいつかお目にかかりましょう。


増田の感想

マンガをなかなか読まなくなってきた「あの増田」ですが、ご縁あって少女マンガ・めでたく候を読みました。桂昌院という仏教に縁の深い人物のマンガなので、お寺やお坊さんもはじめからたくさん出てくる事もあり、決してカタイ感じでなくイヤにならない。 マンガ独特のアレンジもされているが、仏教の事はきちんと書かれているのでお坊さんが読んでいても安心する内容です。 物語は主人公が亡くなるところから始まります。マンガという手法によってなかなか入ってこない「生死」という事がスーっと入ってくる感じがした。これは、僧侶という立場、伝道という事を再考させられる良いきっかけにもなりました。 僧侶は伝えることがとても大切な事なのですが、その伝え方を考え直す事をマンガを通して感じました。第2巻目を早く手に取りたいと考えてしまう、とても読みたくなるマンガでした。