浦上哲也
(小さなお寺 なごみ庵庵主)
令和元年5月7日、お寺はじめました。
いえ、正確には平成18年4月6日、自分なりに仏教を伝えたいという思いが高じ、借家の一室を仏間に改装して「小さなお寺 なごみ庵」を開所しました。
冒頭の日付は、13年がかりでようやく神奈川県庁から宗教法人の認可を受け、設立登記をしたものです。令和になって初開庁日なので、全国で令和初の宗教法人というおまけもつきました。
一般家庭に生まれた私が僧侶になったのは、平成11年に親戚のお寺を手伝うことになったのがご縁でした。親戚といっても従姉が嫁いだお寺ですので、人生の途中で急に寺の親戚ができたのです。
何か仏教に対し熱い思いがあったとか、そういう格好のよい理由はなく、当時は就職先のひとつと捉えていました。ただ思い起こすと、子どものころから実家の仏壇を掃除したり、図書室の仏教に関する本をを読んだりしていた記憶がありますので、興味はあったのだと思います。
こうしてお寺に勤めることになった私は、当初は「伝える」ということに無関心でした。というよりも、そのお寺は「伝える」ことに重きを置いておらず、法話会や、通夜葬儀や法事の際の法話もなく、お盆などで外部から講師僧侶を招いてもお寺の人は誰も聞かないという状況でした。
それを見ていた私も「そういうものなんだな」と捉えていましたが、それが覆されたのは築地本願寺の中にある東京仏教学院で学んだ1年間でした。
学院には「伝える」ことに熱心な先生たちがいらして、その指導を受け、私が子どものころに抱いていた仏教に対する興味が急速に膨らんでいきました。
ある時、学院で聞いて心を動かされた話を、勤めていたお寺の法事で話しました。後日、1つは電話で、1つは手紙で感謝の言葉が届きました。このことが、私が「伝える」ことに熱意を持つ決定的な縁になりました。
それ以来、今に至るまでどんな法事でも通夜でも葬儀でも、必ず法話をするようになりました。
そして、自分が感動した仏の教えを自分なりに伝えたい、という思いがより強くなり、庵を開くことになったのです。記録を見ると、開所4年目までは参加者が1人の会もありました。我ながらよく執念深く続けたものだと思いますが、不思議と参加者0の会は一度もありませんでした。
私が縁あって僧侶となり、仏教学院で師に出逢ったこと。法話の感想などそう来ないのに話し始めた当初に感想をくださった方。庵の法話会に誰かしら1人は来てくださったこと。
様々な縁を想うと、私が伝えてはいるのですが、しかし何か大きなものの「はたらき」によって伝えさせていただいている。そう、感じるのです。
宗教法人化記念行事 2019年12月8日(日)13時
東神奈川 かなっくホールにて
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