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井戸端コラム

私の伝える道(英月)

真宗佛光寺派大行寺住職
英月

昨年末、大行寺の本堂に額が掛けられました。書かれている文字は「護国堂」。今から170年ほど前のものです。昭和初期に出版された『大行寺全史 信暁学頭伝』には、次のように書かれています(一部要約)。

大行寺の開基・信暁学頭(1773~1858)は岐阜県大垣にある長源寺の住職でした。この長源寺、鎌倉時代の武将、常陸佐竹氏4代当主・佐竹義繁の孫にあたる義恕が入寺し、16世住職となって再興。護国堂と呼ばれていた長源寺の別院を本堂としました。その後は長源寺の書院を護国堂と呼び、信暁学頭が寄進した「護国堂」の大木額も、ここに揚げられていたといいます。その下書きとなったのが今回修復が終わり、大行寺の本堂に掛けられた書です。筆は美濃高須藩第10代藩主・松平義建。

さて、ここでいわれる「国を護る」とは、仏法を護るとの願いです。教えに出遇うことができた者は、法蔵菩薩の願いによって建国された国、お浄土を護る。そして仏法に聞かせていただく、尋ねていく。大行寺がそのような場となることを願って、額を修復した今、文字に込められた願いを思わずにはいられません。

大行寺では毎月「写経の会」や「法話会」を行っていますが、お経さんの勉強会なども始めたい。教えを伝える場所として、アレもコレもしたいと、思いばかりが募ります。

しかし、この「伝えたい」という思い。これはややもすると、私自身気付かないうちに「教えを伝えたい」から「教えに出遇うことができた私を伝えたい」に、すり替わってしまうことがあります。どういうことかと言うと、教えを伝える過程で、図らずも自己表現が伴い、軸足がそちら側に傾いてしまう、ということです。飾らずに言うと、教えに出遇うことができた私はイケている、という根性が顔を出すということです。意識せずとも出てくる、そのような思い。そんな危さを内包している。だからこそ、教えに聞いていかなければならないのです。

聞いていくところに、自分が伝えずとも、自ずと伝わっていくものがある。それが伝道ではないでしょうか。「ここに道があるよ!私が見つけた道があるよ!」と声高に叫ばすとも、道を歩いていくことで、道があることが伝わる。その歩みのなかであきらかにされるのは、護るつもりの私が護られていた。願っている私が、願われていたという事実です。だからこそ安心して、一歩、一歩、先人たちも踏みしめた道を、私も歩いていきたいと思います。

京都・大行寺は普段は拝観不可のお寺ですが、英月さんのコラムにあるように、お寺でイベントがあるときは拝観可能です。貴重な仏様を拝めるいい機会にもなります。
なお、場所は現時点では未定ですが、3月30日に京都で仏教井戸端トークはお題法話を開催予定で、英月さんにもご登壇頂く予定です。お楽しみに。