【テンプル・バトン】その6-3(浄土宗 小川大心師)
裏辻 正之さん神崎 修生さんから数珠つなぎ法話の“バトン”が回ってきました。
テーマは「ご縁」
次のバトンは中学の同級生で、浄土宗西山禅林寺派の浅野 智弘さんと住職塾同期で浄土真宗 本願寺派の福山 智昭さんにお繋ぎいたします
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繋がりのことを「ご縁」といいますが、 日常生活で「ご縁」という言葉は、「これもご縁ですね」「ご縁がなかったようですね」「これをご縁に」など、人と人の関わりについて使う場合が多いと思います。仏教では世の中の全てのものに原因があって だから結果があると説きますが、この結果に結びつくための要因や条件をすべて「縁」といいます。たとえば今あなたがこの投稿を目にするにはパソコンやスマホが存在し、数珠つなぎ法話を考えた人、回してくれた人がいて、 書いた私がいる、そしてこの投稿をみるという「縁」が必要です。
つまり
世の中のすべては、膨大な「縁」が集まってできたものといえます。
前回の祖聖大寺 加藤大周 祖聖大寺さんの法話で「ご先祖さん達も生き残ってきて命のバトンを繋いできた」という言葉があり、以前読んだ本の内容を思い出しました。
当たり前と、思われるかもしれませんが、私たちは両親がいなければこの世に生まれることができませんでした。さらに両親が生まれるためには4人の祖父母が必要です。10代遡ると約1000人の先祖がいるそうですが、これを30代先まで遡るとなんと約10億人以上の先祖が存在しているそうです。いきなり増えました。 数字にするとびっくりしますね。
あらゆる災害、疫病、戦争、苦難の中にあっても生き抜き、次の世代に命をつないだ「縁」の連続が、今の私たちです。
そう思うと縁の前に「ご」を付けたくなります。気がつくか気がつかないかの違いだけで私たちは、数え切れないつながりの中に今を生きています。
普段、私たちは当然のように日常生活を送っていますが、実はどれひとつとっても「当たり前」ではないのです。私たちが生きているということは、さまざまな人とのつながりや、支えがあってこそ。
私もついつい忘れがちになってしまいますがどのようなときも無数の「ご縁」に感謝することを忘れないようにしたいと思います。
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