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井戸端コラム

ご近所(のつづき・増田将之)

 

仏教井戸端トーク主宰
増田 将之

私は在家出身であり、親類にお寺さんがいたり、信仰心のあつい家に生まれたわけではなく、たまたまご近所にお寺さんがあることで大きく人生が変わったように思える(結果的にいまはそのお寺に私は所属している)。

私の地域には浄土真宗という宗派のお寺さんが1ヵ寺もなかった。私が小学生の頃に初めての浄土真宗のお寺が建てられた。しかし「わーいお寺が出来たぞ!」などという地域ではないところに建ったのである。

以前、祖母のお葬儀をしたとき、いろいろと他の地域にはない風習がありすぎて家内が驚いたほど、とても昔から伝わる習慣等を大切にしている地域である。その中に新しいお寺となると大変な事である。
とにかくお寺の住職はお坊さんの姿、法衣を着て町中を歩き続けた。
その結果、ご門徒さんが1件もなかったお寺が30年ほど経った今では法話会をすればいつも満堂・満員状態である。それはまさに住職の努力と器の大きさである。そこに人は魅了され、たくさんの人が訪れるようになっていった。

その住職の人柄に魅了された私は、同じ僧侶の道を歩ましていただいている。そのすごさは同じ道に入ると、より一層わかるようになった。
ある時、新しく建立されたお寺に法務のお手伝いをさせていただいた時、住職がしたようにたくさん町中を歩き続けてお寺のチラシを配り続けた。1か月に4,000枚以上配り、そしてたくさん話しかける・・・
しかし、法話会などの行事を開いても誰も来ない日々が続いた。それでもとにかく住職のやり方を“真似”し続けた。

だが、真似る事だけではいけないことに気がついた。
それは、“お寺の発展を常に描き続ける”という事である。
“毎日毎日何のためにやっているのか?”と思ってしまっては、それはただ歩いているだけになる。しかし真似だけではいけないと気づいてからは、そこにしっかりとした思いを入れ、お寺をこのようにしたいという信を持つことでいろいろな事を考えながら歩くことが出来たように思える。
その問いかけをし続けることによって一歩一歩、進む事が出来るのではないかと思っている。

仏教井戸端トークも“何のために開催しているのか”という問いかけを常に続けて前に進んでいく事が大切なのではないだろうかと思っている。
是非、皆さんも“問い”を探しにご近所の人と一緒に仏教井戸端トークへご参加下さい。