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井戸端コラム

ご近所(細川晋輔)

龍雲寺住職
細川 晋輔

私がお預かりしている龍雲寺には、今年で五〇周年を迎える盆踊り大会があります。五十年前に近所の方々が集まって「何かみんなで、地域が楽しくなるような行事をしよう!」ということで始まり、おかげさまで今では三日間で三〇〇〇人以上の来場者を数えるような、地域での夏の風物詩となりました。

この盆踊り大会は、何と言ってもご近所の力がなくては成り立ちません。何百個もある提灯をつけるのは、近所の大工さん、植木屋さん、布団屋さん、酒屋さん、電気屋さんや石屋さんなどなど。皆さんそれぞれの仕事を終えて、午後七時すぎに集まって来てくださります。一つ一つ丁寧に電球をつけて、提灯を結び準備をしていくのです。

お手伝いして下さる方には、何か特別な見返りがあるわけではないのです。報酬があるわけでも、表彰されるわけでもありません。また、当日の警備、交通整理や雨天の心配や対応など、日常のお仕事を抱えている方には、大変な負担になっていると思います。けれども、夏の訪れとともに、「今年もそろそろ盆踊りか」と、例年と同じように淡々と準備に取りかかるのです。

最近、「寺離れ」という言葉をよく耳にします。皆さまに、仏教や先祖に対する「信心」がなくなり、お寺から離れていってしまったと解釈されます。だからこそ、信心を持っていただき、その距離を縮めるべく、仏教の教化伝道に力を入れていくべきであると。

ただ、ある高僧にいわれた言葉に、私は大きな衝撃を受けました。それは、「寺離れ」とは、「寺が人から離れていったのであって、人が寺から離れていったわけではない」というものでした。寺の目線が一般から離れてしまった結果、近所との溝が深まったのであって、信心がなくなった人たちがお寺から離れていったのではないと。

中国の伝説の禅僧に布袋和尚という人がいます。日本でも七福神の一人として親しまれ、太ったからだに、額はせまく、半裸で大きな袋を担いでいるので、「布袋さん」と言われているそうです。その袋の中には、着るもの、経本、食べ物など身の回りのものが一緒くたに入っていて、街でもらったものもみんな袋に入れてしまうそうです。

そして不思議なことに心配事のある人が布袋さんのところへ行くと、ニコニコ笑っているだけなのに、苦しみが一切なくなってしまうというのです。なにか特別な仏教の話をするわけでもなく、ありがたい法話をするわけでも、なにかお金や食べ物をあげるわけでもありません。手を垂れて何もしない状態で、相手に喜びや安心を与えることができるのが布袋さんであり、これこそ禅宗が求める究極の教化と言われているのです。

近所の方々の「地域を笑顔にしたい」という想いが、半世紀も続き、その中心にお寺があることは、私にとって大変ありがたいことであると、心から思うのです。近所にお寺があるだけで、和尚さんがいるだけで、街全体が和やかになる。「近所目線」こそ、布袋さんに一歩でも近づくために、必要不可欠なものではないでしょうか。