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井戸端コラム

ご近所(友光雅臣)

常行寺副住職
友光雅臣

仏教を開いたお釈迦様にまつわる話の中で、僕が大好きな話を書きます。

それはお釈迦様が悟りを開いた時のことです。

大きく端折りますが、色々あってついに悟りを開いたお釈迦様は梵天という神様から『その素晴らしい悟りを人々に説明してあげてください』とお願いされます。僕は本でこのやりとりを読んでいるときに『よかろう』とか言ってお釈迦様が歩き始めるのかと思っていたのですが、なんと彼はこのお願いを断ります。しかも何度も。

『他人には理解してもらえないよ、無理』と突き放します。

えぇ悟ったのに!世界の全てに気づいちゃったのに!いきなり無理とか言う!?と僕も梵天も驚きます。しかし梵天はなおも頼み込んで、お釈迦様は自信ないけどなーって言いながら、まず分かってくれそうな修行仲間の所に向かうのです。

たとえ悟った人であっても、自分の実感や思いを人に伝え、共感してもらうことはとても難しく。理解しあい協力して生きていくことは悟った瞬間のお釈迦様をもってしても、ちょっと自信がないのです。

僕は人とうまくいかなかったとき、人と協力し合うことに疲れたときに、これは悟るより難しいことだと自分に言い聞かせることで、心が芯まで折れそうになるのをなんとか誤魔化してきました。

そういうことで、かなり強引ですが、ご近所付き合いも会社での人付き合いも、恋も結婚も、たぶん悟るより難しいのです。

僕はちょっと大きなイベントの主催をやっていて(後述)、フェイスブックの友人は1400人以上います。コミュニケーション能力はあるほうだと思われがちです。でも近しい人間からは一様に『あなたは口下手で不器用』と言われます。僕もそう思います。

もうこの際諦めませんか。人と”上手に”付き合おうとすることを。

お互い下手なのです。もしうまくいったら最高ですよ。悟るよりすごいよ。コミュニケーション能力が求められすぎる現代だからこそ、まず一度「それは難しいよ、無理」ってお釈迦様みたいに諦めてみませんか?

ちなみにお釈迦様はその後次々に理解者を得て教団を作ります。そして晩年法華経の安楽行品のなかで弟子たちに『我が滅後に於いて』と自分が死んだ後の世の中はこうなるだろうからこうしなさい、こう修行しなさい、と言葉を残します。

同じ時代を生きる修行仲間に語ることも嫌がったお釈迦様が、ついには、のちの世を生きる人々に言葉を残しているのです。

さすがお釈迦様は結局そこまで行けてしまうのか。でもそこに至るまで何度もくじけて、ため息をつくこともあったと思います。だからこそ、肉体後の世界にまで何かを伝えようとする言葉に、その人生に、僕は深く感動しました。

このコラムを書くにあたりご近所というテーマをいただいたとき頭をよぎったのは「付き合いがめんどくさそう」でした。自分に嘘をついてもしょうがない。でも、人と何かをすると楽しいです。それも正直な気持ち。

めんどくさいけど、楽しいからやる。そんな感じで、そこそこでやっていきましょう。

お互い様、無理しない。

*「ちょっと大きなイベントの主催をやっていて」・・・友光師は、2011年から始まった寺社フェス「向源」の代表を務めてらっしゃいます。友光師のお寺である常行寺から始まり、4年目には増上寺に会場を移し、6年目は日本橋で開催。7年目となる2017年は、東京(5月開催済み)と京都(10月開催)の2箇所開催というこれまた初の試みを致します。
10月開催予定の向源 in 京都の開催概要発表は9月1日だそうです。この日に京都開催の向源の全てがわかります。
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