カテゴリー
テンプルバトン

ーテンプルバトンーその9-2(小岱海)

【テンプル・バトン】その9-2(浄土真宗 小岱海師)

みなさんこんにちはっ!
長崎市にある浄土真宗本願寺派教宗寺の小岱 海(しょうだい うみ)です。勉強会でご一緒させていただきました、熊本県真宗大谷派光照寺の糸山 公照 (Syaku Ko-show)さんから「#テンプルバトン」という法話の数珠つなぎの法縁をいただきました。「ご縁」をテーマにお話をさせていただきます。お読みいただけたら嬉しいです(^^)

今回は、最近よく聞かれる「なぜお坊さんになったか」について話したいと思います。これってどんな「ご縁」があってお坊さんやってるの?ということだと思います。多分、何か印象的な出来事があってお坊さんになったんじゃないかと聞いてくださる方が多いと思うのですが。私の場合、コレだ!というものをあげられないんです。…それってどんな答えだよ!って思うかもしれませんが笑

まず、ご縁って何かなって考えてみました。

「ご縁」という言葉は「縁起」という言葉に由来しています。「縁(よ)って起(お)こっていること」という意味で、全ての出来事は「因」と「縁」によって起きているということです。
と言ってもちょっと難しいかもしれません。💦 植物で例えてみると、花が咲く(結果)には、種(因)があって、土や水や光(縁)があわさることによっておこる。種(結果)ができるには、花(因)があって、受粉したり気候が良いなどの環境(縁)が合わさることによっておこる。つまり、全てのことは因と縁によって成り立ってるということなんです。しかもこれは固定的なことではなく、全てが関係し合っているという事がポイントです☝️

全てのものはお互いに因となり、縁となって繋がりあっています。つまり、お互いに持ちつ持たれつの関係にあるとも言えます。

だから、私がいまお坊さんをしているのも同じで、お寺に生まれたのも、母が子守唄で仏教讃歌を歌っていたのも、お寺の幼稚園に通ったことも、日曜学校のみんなとお参りして仏様のお話を聞いたことも、大切な友達に出会って将来を語り合ったことも、飼いねこがよくお寺の本堂にいた事も…
そして、あなたに出会えた事も。
数えきれない程の全てがご縁で、何一つ欠けても、今の私は存在しないし、お坊さんになっていなかったかもしれません。

私は、たくさんのご縁を頂いてお坊さんになりました。調べてみたら、小学2年生の時点で、「お寺のお仕事をしたい」と文集に書いてあって、さすがにちょっとびっくりしました。笑
でもその頃からお寺が大好きだったんですね。そこから、いいことばかりじゃなくて、辛かった事も、上手くいかない事も沢山ありました。でも、変わらずお寺が大好きです!とても好きな布教使の(仏様のお話をしてくださる)先生が、お坊さんは仏様との仲人だと言っていました。私にはお坊さんだけにとどまらず、たくさんの仲人さんがいてくださって、仏様のことが大好きになりました。だから、私も大好きなことを大切な人に伝えたいと思っています。私も誰かのご縁になれるかな?

お坊さんになって全ての人々が救われると説かれた、お念仏の教えに出会えました。祖父や友人、育ててくれたご門徒さんの死も、「また、お浄土で会おうね」と辛くても、お別れすることが出来ました。また会える世界が用意されてるって、ほんとに幸せだなぁと思います。

人間のはからいでは知り尽くせないほどの多くの素敵な「ご縁」に気づき、手を合わせてお礼ができる生活を歩ませて頂くことが出来ています。
これからも「なもあみだぶつ」を大切にたくさんのご縁を楽しみに、歩んでいきたいと思います。

最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
(ご法話となってましたが、形式的なものではなく、気軽にお読みいただけるようこのような形にしました)

<テンプルバトン増田挨拶へ戻る
<テンプルバトンその8-2 糸山公照師へ戻る