[第一回] 釈→小出さん「苦悩するお寺」

釈徹宗(しゃく・てっしゅう)

 

 

 

今回から、小出遥子さんとの往復書簡という形で「テラ未来予想図」が始まりました。

小出さん、お久しぶりです。以前お会いしたのは、池田市の正福寺さんでしたでしょうか。もう一年以上前ですね。その後、活動の展開や変化などはありましたか。そのあたりもぜひお聞かせください。

さて、「テラ未来予想図」などといったタイトルなのですから、“日本仏教の伝統寺院の将来像を語り合うのがテーマ”であろうと思われます(担当の増田さんは、タイトルだけは設定したので後はお好きなように、という方針のようです……)。しかし、自分が住職をしている如来寺の未来予想図も描けないのに、日本のお寺について私が何かを述べることなどできるのでしょうか。はなはだ行き先不安で不透明な思いを抱えながらの連載開始となりました。でも、小出さんと多角的に語り合うことで、何か出てくるかもしれません。よろしくおつき合いください。

おそらくこの往復書簡では、「現代社会・現代人はどの方向へと向かっていくのか」といったマクロな視点と、「さまざまな寺院や仏教者たちの取り組み事例」といったミクロな視点の双方を語り合うことになるのではないでしょうか。

その前に、まず私としましては、寺院が抱えるいくつかのジレンマを率直に書くところから始めてみようかと考えています。

 

■寺院運営というアプローチ

江戸時代は、日本に16万ものお寺があったそうです(諸説あり)。現在は7万6~7千ヶ寺ほどらしいので、寺院数が半減したわけです。でも、江戸時代は3000万人くらいの社会でしたので、人口比で考えれば、80~90%減くらいになるのでしょうか。まさに絶滅危惧種状態。もちろん、前近代と現代とでは寺院が果たす役割は異なりますので、同列に語ることはできません。むしろ、大きく社会制度が変わって150年経過しているのに、よく8万近くも残ってきたなあ、と言うべきかもしれません。

そして現在、日本仏教の寺院はさらに次のフェーズへと突入中です。

もちろん今でも伝統的な形態を保持している寺院もありますが、ほとんどの寺院が転換期に直面しています。“次のフェーズ”では、いくつか目につく特徴があります。そのうちのひとつが「寺院運営」というアプローチです。すでに「寺院運営」や「寺院のマネジメント」といった用語を使っても違和感がなくなってきました。ひと昔前(といっても結構近年)までは、「寺院を運営する」あるいは「寺院を経営する」といった言い方に抵抗がある人は少なくありませんでした。お寺にビジネスマインドを持ち込むこと自体、はばかられるような感性があったのです。しかし、そういう抵抗感も小さくなっているようです。

私のゼミでも、寺院後継者候補の学生が寺院運営について高い関心を示すようになってきました。寺院運営についてのゼミ発表や卒業研究は増加傾向にあります。

 

■とにかくお寺に来てもらいたい、のだが……

寺院後継者候補の学生が寺院運営についてゼミ発表すると、寺院とは縁のない学生から「なんのために寺院を存続させなきゃいけないの?」などと素朴な質問が出たりします。なかなか厳しい指摘ですが、出てしかるべき意見ですよね。寺院と縁がない学生から見れば、「お寺の人が、自分たちのために、お寺の存続を望んでいるだけじゃないの?」と見えるのでしょう。

近世の政策によって日本のお寺は“地域のコア”の役割を果たしてきました。仏法・仏道の場であると共に、行政・教育・娯楽・集会の場としての役目も担ってきたわけです。だからものすごい数の寺院があったのですね。しかし、近代社会となって、それらの機能は他の機関が取って代わることになります。やがて、お寺に残された役割の大半が、死者儀礼と寺檀共同体への取り組みに関するものとなりました。

そして今日、死者儀礼の在り方が変容し、少子高齢化による人口減少社会となり、地域コミュニティーが消滅していく中、好むと好まざるとに関わらず伝統的なお寺は自分自身の存在意義を再点検する事態となっています。もはや旧態の檀家・門徒メンバーによる護持では、お寺は立ちいかなくなってきました。全寺院の40%以上が存続の危機に瀕しているとも言われています。

そんなわけで、とにかく「これまでご縁のなかった人々に来てもらいたい」「できれば大勢の人に集ってもらいたい」「寺院護持に協力していただきたい」、これはすべてのお寺の願いなのです。

しかし、ただ単に“人を集めること”に力を注ぐと、超宗派傾向やシンクレティズム(習合信仰)傾向が強くなります。これはある意味で各宗派における特有の仏道の本義をそこねることにもつながっていきます。実に悩ましいところです。次回は、このあたりのジレンマについて書こうと思います。

いずれにしても、そもそも何のためにお寺が存在するのか、といったところにもお話を進めねばならないでしょう。