仏教井戸端トーク主宰
増田 将之
先月、5月30日に仏教井戸端トークにおいて、「お題法話~仏教用語禁止編~」の2回目を久しぶりに行った。いつも思うが題名は・・・ではあるが(^^;、お坊さんの私としては研鑚の場ともなっていて、とても大切な行事になっている。如何にして仏教を伝えるか、登壇するお坊さんは皆さんいろいろな言葉を選んで伝える。この「伝える」先にある「伝わる」もいっしょに研鑚の出来る行事がお題法話である。
伝えるための精進をしないと聞く側にきちんと伝わらない。如何にその話の中で聞いて下さる皆さまに共有できるイメージを与えることが出来るか?また、分かりやすく話を組み立てることを常に考えなければならない。
お釈迦さんは「対機説法」、「応病与薬」と言い、その人にあわせたお話を説かれてこられた。
まさにその人にあわせたお話が求められる時代に今なっているのではないか?と最近私自身がよく思っている。
私は在家出身で「お坊さんになりたい」と思い、何もわからないままに中央仏教学院という――簡単に言うとお坊さんの専門学校――で1年間勉強をさせていただいた。
とにかく最初はチンプンカンプンで全くわからなかった。言葉もそうだが、仏具の使い方、行事の所作すべてがチンプンカンプンだった。(今はお坊さんにならせていただいて20年ほど経つので、ある程度は慣れてきて理解出来るようになってきたが・・・)
最近、ふと思うようになった。
私がお坊さんになりたいと思ってこの世界に入った時と同じように、きちんと伝わらないまま、チンプンカンプンの人がいるのではないかと・・・
お坊さんというのは、仏さんの教えを皆さんに伝えるのが大事な役目であるけれど、「伝える」ことに重点を置きすぎて「伝わる」ことの大切さを忘れてしまっているような気がする。相手の悩み、苦しみを共有し、仏さんのお話を説いていくことによって伝わって行くのではないかと思う。
そのためにも、もっと私自身、試行錯誤して言葉というものを研鑚していかなければならない。その研鑚を怠ってしまうと、せっかくお寺に足を運んで下さっている方々が遠のいてしまうのではないかと思う。その精進する姿を見せ続けることで「お寺さん頑張っているなあ、ちょっとお話を聞いてみたいなあ」と伝わっていくのではないか?と。
決してすべてのお坊さんがお話がうまいわけではない。しかしその試行錯誤する姿、精進する姿を見せることで伝わっていくのではないかと私自身信じて、仏教井戸端トークを続けている。
私の浄土真宗という宗派では、「聴聞極まりなし」と言われる。そのお話を聞ける場所を今後も皆さんのご協力をいただきながら仏教井戸端トークで作っていくことが出来ればと思い、新しいコラム、「私の伝える道」がスタートいたしますのでどうぞよろしくお願い致します。