松村妙仁
(真言宗壽徳寺住職)
2011年3月11日金曜日
東京で会社員をしていた私はこの日、半休を取り歯医者へ。他の用事も済ませ、遅めのランチを取って会社へ出勤。夜には先輩と同僚の送別会もあり、早く仕事を済ませなければと思いメールチェックしているその時、午後2時46分をむかえました。
机の下に潜り込んでも体が外に引き出されるような大きな揺れ、テレビラックを必死に押さえる同僚、当時外壁工事の最中で、工事用の足場の揺れる音がオフィス中に大きく響き渡っていた数分間。今まで経験したことのない大地震でした。
その日から東京でさえ、生活や仕事が一変。そして故郷福島は、地震、津波、原発と多重被災により、みるみると変化してゆきます。
様々な報道が流れる中、私の目に焼き付くのは、人々の祈る姿でした。
避難所で手を合わせる人々、
海岸線で手を合わせる人々、
津波によって流された自宅前で手を合わせる人々、
原発事故の影響で、立ち入れない自宅に向かって手を合わせる人々、
様々な地で読経する僧侶…。
当たり前の日常が奪われた時、人は、大いなる存在を畏れると同時に、祈り、手を合わせ、願い、敬意をあらわすものではないだろうか。自分では決められない、決断できないほどの大きな出来事が起きた時、いっそ誰かに決めてほしい、神や仏の導きにおまかせしたい。そんな気持ちになるのではないだろうか。
祈る姿を目にする度に、祈りとはなんだろうと考えると共に、私になにかできないのか、なにができるのか、少しでも福島に貢献できないか。と自問自答を繰り返してゆきました。
私の中にある故郷福島への想いも、日毎大きく大きく膨れ上がってゆき、地元に戻る決心をします。ただ福島に戻るのではなく、僧侶として戻ることを。
「この世のあらゆる物事には必ず原因と結果がある」という、仏教の根本理念の縁起(えんぎ)。まさに、今の私は、10年前の私がいたからこそ、存在しています。東日本大震災がきっかけで今がその結果です。結果と言えば答えが出たような気がしますが、まだまだ結果はわからず進行形です。東日本大震災は、悲しい辛い、悔しい、出来事ではありますが、あの時がきっかけで今の私がいます。今の私のはじまりが10年前です。
10年前のあの時に、福島にいなかったからこそ、福島に戻ってきたように思います。
10年前のあの時に、会社員をしていたらからこそ、今僧侶という道を選んだように思います。今振り返れば、仏様に自然と導かれていたような気もしています。福島に残ることは一切考えていなかった私が、東日本大地震は大きなきっかけでありスタートとなったのです。
この10年はいろんな事がありました。新しい素晴らしいご縁があり、仏様とのご縁で繋がったみなさまに支えていただいた毎日です。10年前には想像もできない毎日を福島で過ごしています。これからの毎日も想像もできない、想像がつかない毎日でしょう。
今日の何かが、また10年、20年先のきっかけやはじまりになっているのかもしれません。
未来はわかりませんし、想像もできませんが、今の私がこれからの私のきっかけになると信じ、日々のつとめを丁寧に、ご縁を大切に、祈り続け、私なりの道を進んでてゆきたいと思っております。
合掌
松村妙仁(まつむら みょうにん)
福島県猪苗代町生まれ
大学進学で上京。卒業後、音楽教室運営やコンサート・イベント企画運営会社に就職。 先代住職であった父の死や東日本大震災をきっかけに、福島に戻ることを決意し、仏門へ。
「ご縁を大切にするお寺」をテーマに日々活動中。