加藤巍山
(仏師・彫刻家)
【仏像が美しい理由】
社会は不安で覆われています。
歴史を振り返れば、不安や恐れが美を求め、
祈りの表れとして美しさが極められてきたのかもしれません。
東日本大地震、そして現在、世界を席巻している疫病の時代に生き、
仏像が美しくなければならない理由の一つが解ったような気がします。
美しくするのではなく、「美しくなる」
私は、仏師と彫刻家という、祈りと美を体現しているちょっと稀有な位置にいる人間です。
”今”のこの空気を全身で呼吸して、作品に、そして仏像に込めます。
【芸術の存在。或いは宗教】
COVID-19による世界的混乱を受け、その影響はあらゆる分野の文化芸術にも及び、
その危機的状況はさらに深刻さを増しています。
そう危惧する一方で、
私はいちプレイヤーとして、それらが”淘汰”される…と、
冷静な目でじっと見守っています。
歴史を紐解くと、悲しいかな、文化はそうして淘汰されてきました。
そうして、消え、或いは残り、変化し、或いは新しく生まれながら
歴史、伝統、文化となって伝わり現在に存在します。
近年ではバーミヤンの大仏、シリアの遺跡の破壊。
例えば、廃仏毀釈による大量の仏像、寺院の破却。
東大寺、興福寺も度々、火災や戦禍に見舞われました。
しかしそれは”そういうもの”なのです。
良し悪しではなく、歴史の中の一つの出来事に過ぎません。
それでもなお、残り、守り伝えられてきたものが、残るべきもの、
守り伝えられるべき時代の要請(天のはからい)によるものだと思っています。
私は、私の生き様を文化芸術として昇華し、
この時代、この国に残すという強い自覚を持ちながら生きています。
それで私の作品が消えるならば、それもまた時代の要請の現れ。。。
天のはからいということなのでしょう。
【天(仏)のはからい】
仏像は私の意思や衝動で彫っているのではありません。
仏が私の体を通して、”相応しい時、相応しい場所”に現れるのです。
だからこそ、自身を磨き続けなければなりません。
そうして、作為を離れ、限りなく無色透明であろうと努めます。
個々人の意思ではなく、あらゆるものが循環し、
天(仏)のはからいにより、その円環の中で役割を全うします。
人事を尽くして、尽くして、尽くし切ったあとに天(仏)に委ねるのです。
そこに仏が仏像として顕現するのです。
一鑿、一鑿、私は魂を刻む
零れ落ちた人間の尊厳を掬い上げ、彫刻に閉じ込める
彫刻は記憶し、その魂は永遠に振動し続ける。