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井戸端コラム

ご近所(ネルケ無方)

 

安泰寺住職
ネルケ無方

ご近所って、何だろう?

都会では最近、近所づきあいが希薄になっているらしい。PTAには参加したくない、町内会にも関わりたくないという人が増えていると聞く。人と人とのつながりが、だんだん感じられなくなってゆく。田舎ではむしろ、昔ながらの絆がいまだに健全だ。なにせ、二〇年前の修行時代にうっかりエロ本を立ち読みしたうわさを、わたくしが住職になった今も、地元のおばあさまたちが延々と語り継ぐのだ。ガソリンスタンドのおじさんの「この前、奥さんが○△マートが半額の肉を買い占めとったで」というセリフに、どうお答えすればよいだろうか。

こういう田舎ですら、最近ではご近所づきあいよりも世界中の「フレンド」とのつながりが濃くなっているかもしれない。ご近所どころか、家族よりもSNSのお友達とシェアしている時間が充実しているという人もいるだろう。家庭で面と向かって会話しなくなったせいか、ついこの間わたくしもフェイスブックで妻からアンフレンドされてしまった。

そういう時代において、いまさら「絆だ、つながりだ、助け合いだ」と叫んでも致し方ない。あのサイの角の話ではないが(*注)、束縛から自由になり、「独生独死、独去独来」している自己に気づくことが仏教のスタートポイントであったはずだ。近所づきあいが希薄になったといわれている即今だからこそ、仏の教えに耳を澄ます人々も増えてくる予感がする。いや、「人々」ではなく、わたくし自身こそ今一度、「独生独死、独去独来」している自分を再確認する必要がありそうだ。

自己のよりどころを自己において確認できた人々こそが、他者にまなざしを向け、他者の痛みをわが痛みとして受け止められるとわたくしは思う。上辺だけの人間関係で終わらない、自己から宇宙の果てまで続くつながりを、今日というこの日に、わたくしというこの人間において、感じ、味わい、深めたいと願っている。そうしてわたくしとともに生活している身近な人々から、一番遠い生き物まで、その輪を広げ、願わくば一切衆生をわが近所としたいものだ。

おや、ハードルを高く上げすぎたかな。まずは足元を見つめなおし、そして一歩前進!

ネルケ師は2015年10月の「番外編」にご登壇頂きました。その時の様子はこちら
注:犀の角・・・「犀の角のようにただ独り歩め。」(『ブッダのことば スッタニパータ』岩波文庫 17頁)。ブッダの言葉に一番近いと言われる経典に登場する単語。サイの独立した角のように、独力で歩めと言う意味。人間関係が悩みの元になるということから独力が心の成長に必要であると解釈される。