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井戸端コラム

H1法話グランプリを開催して(小池陽人)

小池陽人
(真言宗須磨寺副住職)

去る6月2日に、大本山須磨寺の青葉殿講堂において「H1法話グランプリ」を開催しました。僧侶たちが、仏の教えを説く「法話」を披露し合う催しで、超宗派では初めての試みとなりました。全国各地から集った浄土真宗大谷派、真言宗豊山派、日蓮宗、天台宗、臨済宗妙心寺派、曹洞宗、浄土宗(登壇順)伝統仏教七宗派、僧侶7組8人が登壇し、それぞれ制限時間10分で法話をしました。約450人の来場者と5人の審査員が、話の優劣ではなく「もう一度会いたいお坊さん」を基準に投票し、得票数が多かった僧侶がグランプリとなります。

そもそも、この法話グランプリは、二年前に栃木県の真言宗豊山派仏教青年会様が企画・開催されたもので、その時、私はたまたまNHKのニュースを見て、この催しを知りました。仏縁のない方たちに、法話で生きていく為の、仏教の教えを伝えたいと思っていた私は、そのニュースに釘付けになりました。来場者の方たちの、楽しそうで、幸せそうな笑顔が、テレビの画面からも伝わってきたからです。この企画は素晴らしい!と直感しました。そして、兵庫県で開催し、私も登壇したいという目標ができました。

さっそく真言宗豊山派の星野宗務長様にお願いし、栃木県大会の実行委員長である市村直哉さんをご紹介いただきました。市村さんに、兵庫県でも、是非開催させてほしいと頼みました。市村さんは、「この取り組みが全国に広がってほしいと思っています。全国各地でまた会いたいお坊さんが増えることを願っています。是非やってください!」と御快諾くださいました。

そして、昨年の11月に、高野山真言宗兵庫青年教師会様の主催で、「H‐1グランプリ 法話決戦in兵庫」が開催されました。私もこの大会に登壇者として参加させていただきました。事前に新聞などのメディアに取り上げていただき、当日の兵庫県民会館の約400席は、満員御礼となりました。この大会の登壇者は、兵庫県下の真言宗の若手の僧侶8名でした。我々、若い副住職世代は、大勢の人の前で、法話をする機会がほとんどありません。お寺で行う法要での法話は、ほとんどの場合、住職がされるからです。ましてや、檀家さんではない、一般の方、400名の前でお話する機会などなく、私を含め登壇者の僧侶は皆、初めての貴重な経験となりました。

開催してみて分かった、法話グランプリの魅力があります。

一つ目は、登壇者の研鑽です。登壇者は、出場することが分かった瞬間から、発表に向けて、勉強、練習に日々取り組みます。10分間の限られた時間の中で、いかに人々に響く、伝わるお話ができるか、真剣に向き合うのです。法話グランプリでは、他人と比べ、競い合うようなイメージがつきまといますが、実際には、登壇者の8名は、競い合うという意識は誰も持たず、むしろ、皆で協力して、来場者の皆さまに喜んで帰っていただこうという、協同の意識が芽生えていました。そして、普段聞く機会がない、他人の法話を聞くことも研鑽になるのです。

二つ目は、会場の一体感です。法話グランプリは、若手の僧侶が一生懸命に話す姿を、来場者の方が孫を見るような優しい目線で、温かく見守ってくださるのです。僧侶と来場者が、「諭す人」「諭される人」という関係ではなく、双方で気づきや、学びの場を創造しているような印象を持ちました。松本紹圭さん(未来の住職塾塾長)が、「布教とは、伝えることではなく、つながることである。」とおっしゃっておられましたが、法話グランプリは、まさに「つながる」布教ではないかと思いました。

三つ目は、投票という形で、評価を受けることです。これには、未だに賛否両論あります。「法話は須らく尊いものであり、優劣をつけるべきではない。」「人と比べないこと(無分別)を説いている僧侶が、グランプリを決めるなどあってはならない。」そのようなご意見をいただくことが多いです。正論であり、その通りだと思います。しかし、考えてみれば、我々僧侶は、普段法話をして評価を受けることは、ほとんどありません。お寺での法話会などで、アンケートを配ることはありませんし、法話が終わったあと、今日の法話は、よかった、悪かったなど、直接感想を言ってくださる方も稀です。私もお寺での法話会で、自分の話したい話を、一方的に話して、それが伝わったか伝わっていないかという反省をせずに、自己満足してしまうことがしばしばあります。世間の人に迎合する為に評価をいただく訳ではありません。聞いていただいた方に、ちゃんと伝わっているかということに、もっと向き合わなければいけないのではないかと思うのです。僧侶の使命が自他の抜苦与楽であるならば、今生きている人の「苦」に目を向け、その苦と向き合うための教えを学び伝えていかなければいけません。投票による評価は、多くの人々の心に響く法話とは、どういう法話なのかを僧侶自身が問い直す機会になっていると思います。また、来場者の方も、納得のいく投票をしたいという気持ちで、全員の法話を真剣に聞いて下さるお姿が印象的でした。

この兵庫県大会が終わり、益々この法話グランプリの可能性を感じた私は、この取り組みを、宗派を超えて開催できたら素晴らしいのではないかと考えました。現代は、檀家離れ、墓じまいなどが進み、我々のような若い世代では、仏縁のない人が非常に多いです。しかし、一方で仏像ブームや御朱印巡り、パワースポット巡りなど、仏教に興味のある人も多いのです。特定の宗教や一つの教えを刷り込まれることに警戒心を持つ人も多い中で、宗派を超えて開催することで、その警戒心を取り除き、より多くの方に仏教の教えに触れていただける機会を創れるのではないかと思いました。

しかし、この取り組みには大きなリスクが伴います。宗派の教義を比較し、優劣をつけるというような印象を与えかねないからです。実行委員会を立ち上げてから、このことについて会議で何度も話し合いました。当日の演出や、ポスターチラシ、ホームページのデザインでも、そのような印象をなるべく与えないような工夫を凝らしました。当日、私を含め、副実行委員長で司会をして下さった雲井雄善さんも、何度も「法話や宗派の優劣をつけるのではありません。あくまでも、また会いたい僧侶は誰だったかという視点で投票してください。」とアナウンスをしました。来場者の多くの皆さまは、そのことを理解してくださったと感じています。

自薦他薦で集まった、7宗派8名の僧侶の方は、今回も競い合うという意識ではなく、仏教を伝える同志として、それぞれ個性あふれる素晴らしい法話をしてくださいました。皆さん「生きる為の仏教の教え」をお話されました。会場は、笑いと涙と感動に包まれました。我々の至らぬ点も、来場者の方が寛容な心で受け止めていただき、会場は素晴らしい一体感が生まれました。

今回の法話グランプリは、初めての超宗派の大会ということもあり、多くのメディアに取り上げていただき、注目を集めました。その反響の大きさに驚いています。418枚のチケットの内、インターネットで200枚、現物で218枚を販売しました。インターネットで販売した200枚は、発売開始10分で完売しました。キャンセル待ちは、約1600名おられました。現物のチケット218枚も、二日で完売となりました。後援してくださった毎日新聞さんのご厚意で、当日の模様をインターネットで生配信してくださいました。その生中継のアクセス数は、約4800件だったと聞きました。東京でパブリックビューイングをして下さった方もおられると聞きましたので、4800人以上の方々がみてくださったことになります。

審査員長を務めてくださいました釈徹宗先生は、「伝統仏教は、檀家制度の崩壊などにより、曲がり角にきている。そのような時代にあっても、このような機会を創ることで、仏教や法話にこれだけ多くの方がアクセスしてくださるということが証明されました。仏縁のなかった方々にも、こうして仏教を伝える場が作れたことは、意義深かったのではないでしょうか。」そのような趣旨のことをおっしゃっていただきました。釈先生には、多くの批判が出るかも分からないこの企画に、「法話の優劣を決めるのではない。宗派を超えて僧侶が協力して、仏教を伝える場を作りたい」という実行委員の想いを汲みとって下さり、「若い世代の新しい取り組みを、揶揄や批判に晒されないようにするのが、私の世代の役割だと考えています。」と審査員長の役を受けて下さいました。釈先生の登壇者への講評からも、その想いが伝わってきました。本当に有難く思います。

10分の法話で、仏教の真髄が伝えられるとは思いません。その意味で、やはり法話グランプリは、多くの方を仏教の入口に導く役割なのだと思います。仏教へ興味を持って下さった方へ、仏教の教えの真髄を伝える為には、我々僧侶の日々不断の努力が必要なのだと思います。仏教やお寺や僧侶が、遠い存在となってしまっている方たちへ、入口を広げていくことと、教えを深く伝えていくこと、その両方が必要なのだと感じています。そのことが、悩み多き現代における、僧侶の役割だと信じ、精進を重ねていきたいと思っています。

最後になりますが、H1法話グランプリに、関わってくださいました全ての方へ甚深なる感謝を申し上げます。

感謝合掌

※ YouTubeにて、当日の模様がご覧いただけます。よろしければ御覧ください。