[第七回]釈→小出さん「寺院運営の寺族のモチベーション」

釈徹宗(しゃく・てっしゅう)

前回までの書簡はこちらを御覧ください。

 

小出さん、こんにちは。返信が遅くなって、すみません。

中途半端キャンペーンですが、自分の中で「住職や研究者や教員、執筆活動やNPO活動など、どれにも全力を注げない」という忸怩たる思いがずっと続いていまして、それがすごくストレスなんですよ。どうも自分で思っていたより、根がマジメな人間だったようです。

長年この問題を抱えていたのですが、ある時「そもそも中途半端を目指すというのはどうか」と思い至ったわけです。そう考えると、今より活動を拡げられるかもしれないじゃないですか(笑)。だって、最初から「極める」を求めていないんですから。これは私のように、ついムキになる性格の人間には、いいキャンペーンかもしれません。今後は人から、「こんな中途半端なやつは見たことない」と言われることを目指そうかと考えています(これ、内田樹先生にご指南いただきました)。

■寺院運営と社会活動の合わせ技モデル

世界のお寺は、サンガの拠点であり、修行や修学の場であり、僧侶たちの生活の場です。日本にもそういうお寺はありますが、数多くのお寺はそこに“住職家族が暮らす場”という要素が加わります。日本のお寺の特性は、この「家族が暮らす」と「死者儀礼を基盤としている」を挙げることができるでしょう(同じ東アジアでも、道教が死者儀礼を担当している地域もあれば、儒教が担当している地域もあります。日本では長く仏教が担当してきました)。

家族で暮らしているので、日本のお寺には比較的明瞭にプライベート空間があるわけです。そういえば、「ポケモンGO」が世に出た時、友人の僧侶たちが「勝手にウチのお寺がポケストップになってる?!」と言っていましたが、それは“宗教施設は公共の場”という世界的な感覚からでしょうね。でも、日本のお寺はプライベート空間も有しているので、夜中に知らない人がポケモンを探して入って来ると、やはり具合が悪かったりするわけです(笑)。若いお嬢さんがおられるお寺もありますからね。

さて、日本のお寺は“家族で運営しているから持続可能性が高い”という面があります。やはり世襲的性格が強くなりますので。一方、“家族で運営しているから持続が難しい”面もあるんです。自分ひとりならそのお寺で暮らしていく覚悟はあるが、家族がいるとそう簡単にはいかない、といった場合もあるからです。でも、この場合は結局次の世代へとつなげるのが難しくなるので、長い目で見れば、日本社会の場合は総じて家族で運営する方がサスティナブルだと言えるでしょうか。

そんな事情ですので、実は寺院運営には“寺族のモチベーション”が大きな要素となります。

もちろん、そのモチベーションの柱は、何といっても仏法を求める心や信仰心です。それがまったく無いのに、お寺で暮らし、お寺を運営するのは、とても困難です(だって、辛いこと、嫌なこと、多いし……)。しかし、さらに、ある程度の社会的評価があれば、モチベーションは上がります。と同時に、家族が暮らしていく経済面もモチベーションに関わってきます。その意味において、お寺が保育園や幼稚園などを運営するのはとても理にかなったモデルだと思います。社会的評価や経済面などを兼ね備えているからです。だからこそ、日本中にこのモデルが広まったのでしょう。そして、少子高齢化の今日、子どもの居場所づくりや、介護などの高齢者福祉が有力なモデルとして考えられます。

■むつみ庵の場合

私はNPO法人リライフの代表をしています。リライフは、私が住職をしている如来寺の裏にある民家を使って、むつみ庵という認知症高齢者のグループホームを運営しています。リライフが立ち上がって、もう17年になります。
このむつみ庵のような取り組みは、なかなかお勧めなのです。

次回はこのお話をしようと思います。