浄土真宗照恩寺住職
朝倉行宣
「テクノ法要」が国内外のたくさんのメディアで紹介されている現状には、正直驚いている。2年前(2016年5月3日)に初めて勤めさせていただいた時に、こんな状況を誰が想像しただろうか。
僕は元々、仏教の教えと現状とのギャップに疑問を持っていた。伝統として守られているお荘厳や声明にも最新だった時代がある。お釈迦様は「諸行無常・諸法無我」を説かれた。この現実の世界のあらゆる事物は、絶えず変化し続け,決して永遠のものではないということ。全てのモノは因縁によって生じたもので実体性(我)は無いこと。これらの教えから、現在に伝わっている「伝統の形」は永遠では無いと考えられる。
テクノ法要的なイメージの始まりは、30年近く前にライティング・オペレーターの仕事をしていた際、演者の後ろから後光が差すような光を放つ照明器具を見たときに、阿弥陀如来像の後ろからこの光を放ちたいと単純に思った。彫刻で表現されている後光が現実の光として表現が可能なのだ。しかし、壁の撤去や、住職(父)の理解を得ること(ある意味、壁の撤去)など、実現は不可能だと思っていた。
また、仏説阿弥陀経に示された「お浄土の風が起こす音は素晴らしい音楽のようで、これを聞いた者は自然に三宝を敬う心になる。」とは、どんな音なのかに常々想いを巡らしていた。
時は流れて、2015年10月に住職を継承し、以前からの懸案だった花まつりの企画を思案。目的はより多くの御門徒様にお参りしていただき、仏法に触れていただくこと。そこで思いついたのが、極楽浄土の光と音の世界を自分なりに表現すること。
中学生時代から傾倒しているテクノミュージックは、この世のモノではない音を表現するためには最高の手段だと勝手に思い込んで、早速制作を開始。趣味で音楽を作成していたので、楽しみながら正信偈のアレンジを進めていく。正信偈のアレンジに挑戦したのは、単純にメロディーが美しいからという理由のほかに、もう一つの理由があった。正信偈のメロディーは越前吉崎で蓮如上人が声明と当時の流行歌をミックスしたもの。多くの人々に勤めていただくための蓮如上人の想いを感じる。
照明については当初、照明機材を内陣に配置して照明ショー的なイメージをしていたが、舞台を手掛ける知人から予算的に手頃となるプロジェクターによるVJ演出を提案される。
ちなみに、この準備を進めながらも前住職には相談していない。形が出来上がっていないものに理解を得ることは困難だ。しかし当然、僕も不安だ。そこで相談したのは妻。「ご門徒さんから怒られないかなぁ。」すると妻は「怒られたら止めて、また違うことをやってみれば良いじゃない。」そのとおりだ。実行しなければ結果は出ない。出た結果を受け止めて次に繋げれば良い。