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井戸端コラム

ご近所(嶋田一成)

日蓮宗宗隆寺副住職
嶋田一成

私は今年28歳ですが、同年代の友人と話をするとき「近所」という言葉はずいぶん使われなくなったなぁ、と感じます。いや、もちろん言葉として登場するんですが、位置情報として自分の家から近い、という事だけ。つまり「ご近所さん」という人物が登場しないんです。

平成20年以降、ご近所さんと顔を合わせ、一緒に何かをする経験は「一年に数回定例会的に行う事」ではなく「特別な役割の人だけが経験する事」に変化したように思えます。

無理もありません。9時から21時まで仕事(あるいはそれに準じる拘束時間)で、家には寝に帰る。そんな生活をする人にとっては、「ご近所さんとの関係」よりも「職場の同じ部署の人との関係」のほうがよっぽどリアルです。あるいはまた、職場での私、同窓会での私、ツイッターの私、インスタグラムの私、、、と複数の私を持っていて、使い分けている人も珍しくないです。

「ご近所さん」が私たちの中から無くなったのではなく、いわば人間関係の「現場」が地縁でなくなった、とも言えるのではないでしょうか?

私も経験があるんですが、その「複数の私」のそれぞれにフォロワーが居たり、リムーヴされたりして、SNSを通じてオンラインで仲良くなった人とオフラインで会ってみると、ギャップに驚かれたりする。それだけならまだしも、その複数の私がオンライン上で大きくなり過ぎていて、自分の素顔が、自分の姿が、自分の考えが嫌いになってみたりする。

そうなると、いよいよ見失いやすいのが、“自分“です。

私自身「これを失ったら自分は自分じゃなくなる」なんてモノは、今日に至るも見つけられていません。この原稿を書きながらも「いや、見失うという表現は正しくない。もともと手元にあったかどうかあやしい」なんて考えます。

私が数年前から関わっている寺社フェス「向源」というボランティアで運営するお祭りがあります。
自分を見つめ直し、自分の源へ向かう、という忙しさにかまけてやらずにいる事を、体験を通じてやってみよう、というイベントです。

私は主催者の立場で参加します。自分の源というものが、見つかるかもしれないし、結局何もないかも知れない。

けれど、探すという経験をする。これまでのイベントには無かった体験を、どうぞ向源に探しに来てください。皆さんの参加をお待ちしています。

コラムの文中にもありますが、嶋田さんは今回世界最大級の寺社フェス向源の流れをくむ「東京向源」の代表者を務めています。4月28日、29日のニコニコ超会議とのコラボと、5月5日、6日の東京向源(4日は前夜祭)があります。
一部の企画は既に売り切れも出始めていますが、まだまだ参加できる企画があります。仕事から開放されるゴールデンウウィークに自分自身と向き合い、自身の源を見つけてみてはいかがでしょうか。

詳細はこちら(チケット購入もできます)
向源オフィシャルWEBサイト