五百羅漢寺住職
佐山拓郎
私は東京の下町生まれ。今でこそマンションが増えたりもしているが、私が子供の頃は、近所の住民はすべて知り合いといっても過言ではなかった。いや、町全体が家族のようだったと言ってもいいかもしれない。
学生の頃、お盆の棚経を手伝え、と祖父から言われ、弟と二人で近所を回った事がある。すべてを回り終え、お寺に戻ったが、別ルート担当の弟が戻っていない。迷子かな、と捜しに行くと、ルートの最後の家で、泥酔状態の弟を発見した。
「酒の誘いを断ったら仏罰が当たるって、いつも爺ちゃんが言ってたから…」と、言い訳する弟だったが、檀家さんは、昔からわが子のように成長を見届けてきたお寺のお孫さんが、お経を読んでくれるのが嬉しかったのだ。感謝の気持ちを酒で表してくれたのだから、それを頂くのは僧侶の仕事のうち。若いのだから、泥酔も愛嬌である。
今や年に数回しかないが、私が実家の手伝いをしに帰ると、ひと段落した休憩中に、父が毎年この話をする。20年以上も前の記憶だが、詳しく覚えているのは、毎年繰り返し聞いているからだ。人は年を取ると、同じ話を繰り返すようになる。愚痴や、若い頃の自慢を繰り返されると辟易してしまうが、本来は、同じ話をしてくれる人がいるというのは、有り難い事なのだ。
何度も同じ話を聞かせてくれるから、昔の話が、今でも鮮明に思い出せる。愚痴や自慢ではなく、楽しい思い出の話なら、有り難く聞く事が慈悲の心ではないか。
父がする弟の話の中で、私のいちばんのお気に入りは、弟がまだ小さかった頃の話。
「あいつ、小さい時、サンタクロース信じてたんだぜ」
近所のおもちゃ屋が、クリスマスに、申し込みのあった家にサンタの扮装でおもちゃを届けてくれるというサービスを行っていた。お寺である私の実家にも、何度か来てくれた。
いつかのクリスマスで、弟は気がついてしまう。
「あれ、サンタさん、おもちゃ屋のおじさんにそっくりだなあ」
普通なら、ここで「サンタはいなかった」となってもおかしくない。だが弟は、自分が一度信じた「サンタはいる」という前提を、決して崩さなかった。
弟は「おもちゃ屋のおじさんが、世界中にプレゼントを配っている、本物のサンタだったんだ!」と、感動し、ますますサンタの存在を身近に感じるようになってしまったのだ。なんと素直な男なのだろうか。
この話だけは、何度聞いても「バカだなあ」と笑ってしまう。心が温かくなる、酒の肴。
弟には既に女房も子供もいるし、あのおもちゃ屋も、もう営業していない。
だけど父はいまだに、酔っぱらうといつもこの話をする。
今回コラムを寄せてくれた佐山住職が1月21日ころ発売の初の著書を出版されます。
『流されない練習』三笠書房(知的生きかた文庫)定価600円+税
全国の書店、 Amazon、楽天、五百羅漢寺で一斉発売です。
野球、サッカー、漫画、ドラクエ、麻雀、三国志など 様々な事例と仏教をコラボレーションさせた、 この世で最もわかりやすい仏教本とのことです(笑) 。
住職の会社員時代の経験や、僧侶となってからの学び、 五百羅漢寺住職として積み重ねてきた事など、 佐山拓郎の、現時点での総決算ともいえる本です。 世の中に流され、自分を見失ってしまった人 自分の人生なのに、自分らしくいられない人 この本に、「自分を頼りに生きる」ヒントが隠されています。