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ブータン仏教

第6回(最終回)「日本の仏教はブータンから何を学べるか」

熊谷誠慈(くまがい せいじ)
京都大学こころの未来研究センター准教授

1980年広島市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士。京都大学白眉センター助教、京都女子大学専任講師を経て、2013年より京都大学こころの未来研究センター准教授。2018年、ウィーン大学客員教授兼任。
専門は仏教哲学(インド・チベット・ブータン)およびボン教研究。主著書に『ブータン:国民の幸せをめざす王国』(創元社)など。

第1回からの当連載はこちらから御覧ください。

本コラムでは、ブータンという国を、宗教的側面、世俗的側面の双方から概観してきました。すなわち、仏教の実践を、宗教的実践と世俗社会における応用的実践の両面からとらえ直したともいえるでしょう。わが国の現状に比べると、ブータンにおける仏教の実践およびその社会的応用は、より効果的に機能しているように思われます。では果たして、わが国はブータンの仏教の実践の現状から何を学び、そして、何を応用することができるのでしょうか。

 

ブータン仏教の位置づけ(日本仏教と比較して)

まず、ブータンと日本の仏教が、仏教史の中でそれぞれどういう位置づけにあるかを確認したいと思います。紀元前5世紀頃に活躍した釈迦牟尼の滅後、根本分裂を経て部派仏教が興隆し、紀元前後に大乗仏教が誕生、紀元後1世紀までには中国、4世紀には朝鮮、6世紀には日本に仏教が伝来しました。したがって、日本仏教は中国仏教文化圏の中で成立、発展したと言って良いでしょう。

7世紀には、中央チベットを制圧したソンツェン・ガンポ王(581/618-649年)が仏教に帰依し、インドからチベット(吐蕃)に仏教が伝来し、以後、吐蕃王朝では仏教が大いに歓迎されました。ティソンデツェン王(742-797年)の時代には、ナーガールジュナ(龍樹、150-250頃)を祖とするインド仏教中観派が正統の宗派と見做されるに至り、仏教が国教化されました。その直前、インド仏教の大学僧シャーンタラクシタ(725-788年頃)とともにチベットに招聘された密教行者パドマサンバヴァによって、チベットに密教が伝えられました。ブータンはラサの南方200キロ程度と距離的にも近く、7~8世紀頃には中央チベットから仏教が伝わったとされています。以後、ブータン仏教はチベット仏教文化圏の中で発展していきました。

ブータンも日本も、大乗仏教が主流であり、顕教と密教がともに存在する点は共通しています。他方、戒律の扱いが最大の相違点と言えます。ブータンでは出家仏教が、日本では在家仏教が主な位置を占めているのです。もちろん日本にも、鑑真(688-763年)を開山とする唐招提寺を中心に、『四分律』(インド部派仏教の宝蔵部の戒律)の伝統が存在していましたが、天台宗の最澄(767-822年)が、東アジアの戒律解釈に大きな影響を与えた『梵網経』に基づいた「菩薩戒」を採用し、旧来の具足戒を廃して以降、具足戒を堅持する比丘は殆どいなくなってしまいました。明治以降になると、僧侶の妻帯も当たり前になりました。以後、名称としては「僧侶」と呼ばれるものの、その殆どは実質的に在家者という状態が続いています。他方、ブータンではチベットと同様、原則的に僧侶は妻帯が許されず、大半が具足戒を遵守しています。僧侶を辞めて還俗した者が仏教修行を続けたい場合には、「ゴムチェン」と呼ばれる俗僧として俗服の上に僧衣を纏い、比丘と一緒に葬儀や法事を行うことが許されますが、比丘とは明確に区別されます。他にも例えば、中央僧院の公職に就くことはできないなど、俗僧には役職の制限も存在します。

すなわち、ブータンと日本の仏教の最大の相違点は、出家僧たる比丘の存否といえるでしょう。ブータンでも当然、比丘でありさえすれば誰もが帰依の対象になる訳ではないですが、それでも厳しい具足戒を遵守している点については、俗人とは異質の存在として一定の敬意が向けられます。逆に、現在の日本における仏教や僧侶への敬意の低さの要因の一つは、比丘の不在ではないかと思われます。

 

日本仏教の可能性

とはいえ、わが国の俗僧に望みがない訳でもありません。ブータンの俗僧の中には、出家僧を凌ぐカリスマ性を持った者が存在します。その殆どは、「リンポチェ」と呼ばれる仏や菩薩、高僧などの化身であり、彼らは民衆の篤い帰依を受けます。ただし、化身なら誰でもが帰依を受けるというわけではなく、学識と修行をしっかりと積んだ者のみが大衆からの支持を集め、そうでない化身は見向きもされません。また、化身ではない一般の俗僧であっても、地域社会において精神的指導者の地位にある者も少なくありません。むしろ、そうした俗僧たちこそが、民衆の近くで常々宗教的な教育にあたっているのであり、ブータン仏教全体の底上げという意味では不可欠な存在と言えます。

近年、他国の仏教と比較して、戒律を喪失したわが国の仏教を痛烈に批判する、或いは悲観するケースをしばしば目にします。しかし、民衆レベルの仏教の実践を底上げするためには、出家僧やカリスマ的宗教者の力だけでは十分ではありません。むしろ、大衆に身近な俗僧の質を高めることこそ必要なのではないでしょうか。俗僧というのは、現在の日本仏教を担っている「僧侶」の大半です。すなわち、俗僧の奮起と向上によって、わが国の仏教の再興にも期待できるのです。

そのためは、俗僧とはいえ、深い学識と厳しい修行が必要となります。近年、わが国の仏教界では僧侶側の社会参画の必要性が叫ばれています。しかし、社会参画を行う前に、まずは仏教そのものについて学識と修行の両面をしっかりと身につけておく必要があります。仏教の基礎的な素地があってこその社会応用、社会参画である点を忘れてはなりません。

 

熊谷誠慈さんによるこのテーマによる連載は今回が最後です。半年間のお付き合い誠にありがとうございました。