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テラ未来予想図2

[第五回]敷居は高く、門戸は広く

細川晋輔(ほそかわ・しんすけ)
1979年生まれ。松原泰道の孫。佛教大学卒業後、京都・妙心寺専門道場にて9年間禅修行。東京都世田谷区・龍雲寺住職。花園大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。
臨済宗妙心寺派東京禅センター副センター長。妙心寺派布教師。NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』禅宗指導、『麒麟がくる』仏事指導。

ここまでのやり取りは、こちらから御覧ください。

小池陽人さま

こんにちは。前回の往復書簡ありがとうございました。陽人さんの動画の閲覧数にびっくりしました。毎日、一日平均で14,000人の方が視聴され、その視聴時間を合計すると、一日約1,800時間になるとは。本当にすごいことですね。何より、その動画のレベルを維持されていくことも、並大抵の努力ではないと推察いたします。なかなか真似できることではありません。私も遅ればせながら現在YouTube配信の準備をしておりまして、また色々と御指導いただければ幸甚です。

「お寺参りに行く為には、服装を整え、交通機関を使い、参道を歩いて向かいます。その道中から宗教体験は始まっている」との陽人さんのご指摘、ごもっともだと思います。私もオンライン坐禅会の回数を重ね、色々なコメントをいただきますが、同じような感想をもつことがあります。うちの坐禅会の場合、参加者は朝6時半の開会に間に合うように家をでなくてはなりません。遠い方には4時過ぎに起床され、準備をして最寄り駅から15分かけて歩いてこられる。そして薄暗い中、山門をくぐり、真っ暗な本堂で座布団に腰をおろし坐禅をはじめる。坐禅の時間はもちろん大切ですが、その前後の時間も大きな意味を持っていると思うのです。

「お寺は敷居が高くて、なかなか行く勇気がでない」というご意見をいただくことがあります。「敷居が高い」という言葉の意味は、「相手に面目のないことがあったりするため、その人の家に行きにくくなる」ということなので、すこし使い方が違うように思いますが、あえて使わせていただきます。もちろん私たち僧侶自身、反省すべき点は多々あると思います。しかし、それを踏まえて、私は「お寺の敷居は高いままの方がいい」と思っています。

昔ながらのお寺に伺うと、物理的に本当に敷居が高いお寺が多いです。そして、何か少しヒンヤリとした空気が漂っています。もちろんバリアフリーという観点からみれば、大いに課題ですが、私はその敷居の高さに意味があるように思うのです。
禅の世界では「玄妙な道への関門」という意味で、「玄関」呼び、みなさんの日常語としても使われています。実際、この「玄関」において禅を志す修行僧は、頭を床につけて数日間入門を願います。そこから先は、今までの日常を持ち込んではならない関門であるからです。

私は、お寺という場や坐禅会が来られる方にとって「非日常」であって欲しいと思っています。いつもの日常から少しだけ段差を自分の力で上がって、非日常の時間となるところにも、坐禅の意味はあるのです。日常では気づくことができなかったことを、感じることができる。そんな場でありたいのです。
しかし、敷居が高いだけではお寺の役割は果たせません。門戸は広くしておくことが大切なのです。ですので私は「敷居は高く、門戸は広く」という言葉を大切にしています。「非日常」という敷居の先にある世界を大事にしつつ、門戸を広げて参加しやすくしていく。とても難しいことですが、私はお寺を預かる者として頑張っていきたいと思っています。

最後に陽人さんへ質問です。私はすでに中年かも知れませんが、若手である陽人さんが心がけている「お寺つくり」はどういうものでしょうか?
季節の変わり目になりました。くれぐれもご自愛専一のほど、祈念しております。

細川晋輔