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井戸端コラム

私の伝える道ー浄土と禅ー(並木泰淳)

並木泰淳
(臨済宗金龍寺住職)

「浄土と禅」という催事を企画しました。

浄土宗の方々がつくる「茶坊えにし」のご協力を得て、十月二十四日に私が務める臨済宗妙心寺派東京禅センターが主催いたします。
宗派間対話といえば格調高く聞こえますが、懇話しながら皆で気づきを得ていこうという柔らかな会を目指しています。新型コロナ禍で一度は中止に致しましたが、開催のご要望を多数いただき、オンラインではなく対面にて催すことになりました。

お互いを知ろうとすること

浄土宗は「南無阿弥陀仏」とお唱えして阿弥陀仏の極楽浄土への往生を願う教えだということくらいの知識しかなく、自分たちとは違う教えだなと身勝手に思っていました。人間とは不思議なもので、聞きかじる程度の知識を得ると、急に自らと比べて優劣を判断して不安になったり、勝った心持ちがするものです。
少し興味をもって勉強したり、携わる方と話し合うだけで、多様性を受け入れるしなやかさを誰しもが具えているのにも関わらず、安易に判断し互いを批判してしまう攻撃的な本性もまた誰しもが具えています。
多様性を認めましょうなどと耳触りの良い言葉で社会人に必要なモラルが喧伝される世の中ですが、押し付けられたモラル(精神的態度)は身につきにくいものです。全く違っていると思っていた他者の意見を聞いて、正しい理解の上で素直に納得できた体験の積み重ねこそが、多様性を受け入れるというモラルを自らの中に見いだすことができる方法だと思います。

気づきを得ること

「浄土と禅」の開催にあたり、浄土宗のことを少しずつですが勉強しています。禅との関わりをもたれた祖師や法然上人のご生涯など知るうちに、「浄土は西にあるとだけ知っていたけれど、東にはお薬師さんの浄土があるそうだ」とか「阿弥陀仏は自力で悟られているのではないか」などと自分なりに鮮やかな気づきを得ました。浄土宗の僧侶の方からすれば、そんなことは当たり前とか間違っているとすぐに感じられると思いますが、他者と比べず「この私」が気づき得ることが大事だと思います。
「浄土と禅」にご登壇いただく浄土宗の方も、臨済禅に触れてくださり、鮮やかな気づきを得て下さることを期待しています。「仏道とはなんですかと師匠に問うて、庭前の柏樹子と応じられたり、あっという間に棒で打ちのめされる修行者の気持ちは如何なものだろう」とか「死んで死んで死にきってこいなどと修行僧に喝破する老僧とはどんなひとなのだろう」とかかなと勝手に想像してワクワクしています。
「浄土と禅」当日に、増田将之師の名司会の元に楽しく充実した懇話に発展し、参加してくださった方々がそれぞれに気づきを得ていただくことができれば、ありがたく思います。

私の伝える道

モラルは自らに見出すものだとお話ししましたが、信仰も押し付けるものではなく内在している信仰心を喚起することが大事だと、浄土教の勉強をしているときに改めて気づかされた経験をしました。在家出身の浄土宗の尼僧さんが自身の信仰の始まりについて、

老齢の住職が私のことを温かく迎えてくれました。
阿弥陀仏に向かい一心にお念仏をお唱えしている住職の後ろ姿に思わず感動し、今は住職の後ろ姿に向かってお念仏をお唱えしています。

と温かい体験を言葉にしてくださいました。『ダンマパダ』に以下の句があります。

無益な語句を千たび語るよりも、聞いて心の鎮まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。

諸行無常であるということは、森羅万象すべての瞬間は同じ瞬間がないということです。すべての瞬間や境遇にピタリとはまる万能な言葉など存在しませんから、伝えることは大変に難しいことです。けれど、まっすぐに格好をつけずに自らの感動を表現した彼女の何気ない一言に、聞き手も感動を覚えることができました。それは鮮やかに信仰を露わにした彼女の心が聞き手の心に通じたのだと思います。

釈尊から二祖迦葉尊者に仏法が伝わるときの

不立文字 教外別伝

という釈尊の言葉が禅宗に伝わります。心から心に伝えることが肝要だということですが、仏法だけに留まらず、私たちの日々の生活でも「以心伝心」こそが大切です。思い通りにならない人生を、周りのひとたちと泣き笑いしながら鮮やかに生きていきたいと思います。