熊谷誠慈(くまがい せいじ)
京都大学こころの未来研究センター准教授
1980年広島市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士。京都大学白眉センター助教、京都女子大学専任講師を経て、2013年より京都大学こころの未来研究センター准教授。2018年、ウィーン大学客員教授兼任。
専門は仏教哲学(インド・チベット・ブータン)およびボン教研究。主著書に『ブータン:国民の幸せをめざす王国』(創元社)など。
前回のコラムで説明しましたように、1907年にワンチュク王朝が誕生し、ドゥク派による仏教政権から世俗政権に移行しましたが、仏教は同国の文化的、社会的基盤であり続けました。21世紀に入り、さらなる国際化と近代化が進んでいますが、なおもブータンには仏教文化が根付いています。
ブータン王国憲法第3条第2節では「ブータン国王はブータン国内における全ての宗教の守護者である。」と説かれ、信教の自由、宗教の平等性が説かれています。その一方で、同条の第1節には「仏教はブータンの精神的遺産であり、平和の原則と価値、非暴力、慈愛と寛容性を促進するものである。」と言われています。すなわち、ブータンの伝統宗教といえばやはり仏教ということになるのです。
例えば、中央ブータンのブムタン県の県病院では、建物に入る際、入口の門に設置された大きなマニ車(観音の六字真言の刻まれた円柱状のもので、右向きに回すことで利益があると考えられている)を回しながらでなければ入りにくい構造になっています。いわば回転ドアのようなものです。
ブムタンの県病院の入口(熊谷誠慈撮影)
また、あらゆる公的機関の公共スペースに仏像や仏画が安置され、それらに囲まれながら執務を行うといった環境が存在します。もちろん、信仰に関する強制はなく、仏像を目の前にして拝む必要もなければ気に留める必要もありません。しかし、信仰があるにせよ、ないにせよ、常に仏像や仏画が目に入ってくるのは事実です。
近年まで娯楽の少なかったブータンにおいて、祭りは一大娯楽行事でした。その祭りのほとんどが仏教絡みのものであり、僧侶の読経、仏教演劇の上演と続いて、最終日には大仏画が本堂の屋上から掲げられます。
クジェ寺でのツェチュ祭の最終日に掲げられる大仏画(熊谷誠慈撮影)
このように、ブータンに暮らす者にとっては、生活の中で必ずといってよいほど仏教と関わる機会があるのです。
また、仏教は政府に手厚く保護されています。特に国教のドゥク派は、僧院の建築や修繕、僧侶の教育や生活費など、基本的な支出については政府の援助を受けることができます。結果として優秀な僧侶が多く輩出し、国民や社会に対する還元が行われています。ドゥク派の僧侶は国家公務員とみなされるため、僧侶たちの側にも国民と社会に奉仕をしようという意識が強いのです。
他方で、ブータンには政府との依存関係の薄い宗派も存在しています。それはニンマ派です。ニンマ派は国教ではないため、国からの援助は少なく、僧院の建立や改築の補助金など、部分的な補助にとどまります。ですので、原則的に、ニンマ派は自力で布施を集め、宗派の運営資金としています。ドゥク派に比べて財政的にはハンディがありますが、その分、政府や国民の意向に縛られない自由な宗教活動が可能となっています。
以上のように、ブータンでは仏教が社会や文化に密接に関わっているのです。
次回は「ブータンのGNH(国民総幸福)政策と仏教」について書こうと思います。